今日の仕事は出張料理人。
夫婦の「好き」が自然に仕事に
夏の入り口にさしかかった7月、王滝村のお昼どき。
農家民宿「常八」の厨房から、香ばしい匂いがただよってきました。
鍋のなかには、しっかり素揚げした玉ねぎを隠し味にした、豚肉と卵の煮込み料理。
「今日はルーローハンをメインにした、台湾定食です。と言っても、台湾に行ったことはないんですけどね」
穏やかな笑顔で、樋口菜摘さんが話します。


勝手知ったる様子で調理をしていますが、菜摘さんが村に移住したのは、わずか1年ほど前。菜摘さんにとって「おじいちゃん・おばあちゃんの家」だった住まいに、夫の樋口昌義さんとともに移り住んだのです。
そして、料理人というキャリアも、この村に来たことをきっかけにスタートさせたのだとか。
「夫のまーくん(樋口昌義さん)も私も、世界各地の料理をつくって食べるのが好き。とくに、まーくんがつくる南インドのカレーがおいしいので、移住してわりとすぐに近くのスキー場や公民館のお祭りでカレー屋さんとして出店させてもらったんです。
そのことを知った常八さんが、仕事が忙しいときなど、料理人として声をかけてくれて。ときどきこうして、宿に滞在しているゲストのみなさんにごはんをつくっています」
本格的な和食を、と言われたらひるんでしまうけれど、自分が食べたい料理なら・・・そう謙遜する菜摘さんですが、完成した定食はどれも絶品。小鉢やスープにまで台湾の味を取り入れていて、こだわりや想いが伝わってきます。
「飲食を仕事にすることには関心があり、以前いた久米島の飲食店で働いたりもしていました。ただ、出張料理人になるなんて、都会で考えたらすごくハードルが高そうですよね。
けれど王滝村では、『菜摘ちゃん、料理できるんでしょう、うちでお願い!』とか『あのカレーおいしかった、また出店して!』とか、気づけばいろいろな活躍の場を与えてもらえていて。それがとてもありがたいんです」
その他、王滝村で二人が取り組んでいる仕事は、旅館のアルバイトに農業など、多種多様。一見、「やっぱりハードモード?」との印象も受けますが、「いえいえ、あせらず自分たちのペースで取り組めているので、一つひとつを楽しんでいます」と話します。

「今日つくった料理のレシピは、私の遠い親戚にあたる台湾料理の研究家の方が出版したレシピ集を参考にしたものなんです。焦がし玉ねぎをコク出しに使うのも、最初に砂糖をちょっと焦がしてカラメルのようにしてからお肉を入れるのも、その方の知恵。そういうつながりも感じながら料理をするのって、楽しいですよね」(菜摘さん)

馬に導かれ久米島へ、
そして祖父母の故郷・王滝村へ
しかし、そもそもなぜ、二人は王滝村へ?
王滝村の西の隣に位置する、大桑村(おおくわむら)で生まれた菜摘さんですが、ここに移住するまで暮らしていたのは沖縄本島から100kmほど離れた小さな離島・久米島(くめじま)。
動物に関心を持ち、関東の動物関連の専門学校へ通ったのち、この島にある馬牧場に勤務していました。

「高校を卒業後にはじめて実家を離れて入学したのは、犬猫はもちろんホワイトタイガーやオオカミ、フラミンゴやアザラシまで飼っていている専門学校でした。そんな場所で、幅広い動物の生態に触れて、就職は最初、北海道の牛の牧場が決まっていたんです。
でも、いざ行くことになったら『あれ? 私って牛に関わりたかったんだっけ』と、立ち止まってしまって。結局、『私はそもそも馬が好きだったんだ!』と気づいて、北海道とは真逆の土地・久米島の馬の牧場に務めることになりました」
じつは、菜摘さんが動物への関心を育んだ原点には、かつて王滝村に暮らしていた祖父母との思い出がありました。
「野鳥やうさぎを飼っていた動物好きな祖父母が、よく木曽馬を見せに開田高原まで連れていってくれたんです。そのときの体験や時間が、馬好きになり、王滝村に暮らす今につながっているんだと思います」
※開田高原・・・王滝村から車で40分程度の場所にある、標高1,100メートル〜1,400メートルの高原地帯。当地には馬とのふれあいが楽しめる「木曽馬の里」がある


久米島の牧場で飼育していたのは日本在来馬の一種『与那国馬(よなぐにうま)』。木曽馬よりも小さく、「小柄な人でもぴょんと飛び乗れるくらい」の、愛らしい馬なのだとか。

「それでいて俊敏で、賢くて。かつては車やトラクターの代わりに、サトウキビなど重い荷物を運んでくれる、頼れるパートナーだったようです。けれど、いまでは頭数が減り、天然記念物に指定されています。私は、勤めていた牧場で、旅行のお客様を馬に乗せてガイドツアーをする仕事をしていて、夫とも牧場のスタッフ同士として出会いました」
大好きな馬との暮らしを実現し、遠い南の島での暮らしを満喫していた菜摘さん。
しかし、時を重ねるとともに、王滝村で暮らすおばあちゃんのことが気に掛かるようになっていきました。
「当時、祖母は一人で暮らしていたんです。『ずっと続いてきた家や、暮らしをなくしたくないな』って、帰省して、いっしょに暮らすことを考えるようになったんです」
「おばあちゃんの暮らす王滝で、その暮らしを受け継いでいこう」──そんな決意のもと、計画をはじめた矢先、残念ながらおばあさまは他界してしまったのだそう。しかし、二人は気持ちを変えることなく、久米島から王滝村への転居を果たしたのでした。
<後編へ続く>
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