マウンテンバイク競技人生を決定づけた
王滝村のレース
王滝村の役場で働きながら、マウンテンバイク競技の選手として活躍する宮津旭さん。年に20回ほどの大会に出場する現役のアスリートである彼は、王滝村での生活を「選手にとって、ストイックに競技に向き合える環境」だと語ります。
宮津さんは埼玉県で生まれ、陸上の強豪校である東洋大学に進学。箱根駅伝を目指していましたが、大学2年生のときにマウンテンバイク競技に転向しました。
「通学の移動手段としてマウンテンバイクを購入したことをきっかけに、そのおもしろさにどんどんのめりこんでいきました。都心で開催される小さなレースなどに出場して楽しんでいましたが、2014年にセルフディスカバリーアドベンチャー・イン・王滝(以下SDA)に出場したことで、本格的に競技をはじめようと決意しました」
SDAとは毎年王滝村で開催されるマウンテンバイクのレース。国有林や林道を解放して開催され、多くの人が全国から参加します。宮津さんは毎回120kmのコースに挑戦しています。もちろん目指すは優勝。2022年に行われた大会でも、2位に大差をつけ優勝しました。
「マウンテンバイクのクロスカントリーをしている人なら、必ず耳にすると言っていいほど有名な大会です。普段は走れない山のなか、携帯の電波も届かないような場所がコース。舗装されていない道を走って岩を飛び越えたり、川を渡ったりという非日常が楽しくて毎年参加するようになりました。毎年バイトをしてお金を貯めては、この大会に出場していたんです」
2017年に大学を卒業するまで、マウンテンバイクに没頭。卒業を控え、進路を考えるなかで王滝村が地域おこし協力隊を募集していることを知りました。募集していたのはアウトドアスポーツの振興を行う人材。まさに宮津さんにぴったりの求人でした。
「選手としての自分を育ててくれたのがSDAだと思っています。そんな王滝村への恩返しという気持ちもありましたし、大好きなマウンテンバイクに携われる仕事でもある。すぐに応募し、王滝村に移住しました」
地域おこし協力隊時代には、マウンテンバイクのコースの整備などを手掛けました。翌年の2019年には王滝村役場での採用があり、試験を受けて見事合格。
「私の両親は公務員で、いずれは自分も公務員に。という気持ちもあったので、試験を受けました。それに生活の軸であるマウンテンバイクのことを考えると、公務員という仕事は定時が決まっているのでスケジュールが組みやすい。レースに出るときは有給をとって参加しています。役場の皆さんも私のスタイルを理解してくれているので、快く送り出してくれますし応援してくれている。とても感謝しています」
競技に真剣に向き合える王滝村は
アスリートにとって最適な環境。
アスリートの1日はトレーニングからはじまります。
「毎朝出勤の前に30分の筋トレ。それが終わったらエアロバイクを30分間こぎます。近くにジムはないので、部屋に器具を揃えてトレーニングしています。仕事終わりや休日は、夏はマウンテンバイクで外を走り、冬は御嶽スキー場でトレーニング。山岳スキーという競技を一年前からはじめました。スキーの裏に滑り止めをつけて山を登り、帰りはスキーで降りてくる。これが体の基礎をつくる良い運動になっています」
利便性という面で見ると、暮らしやすいとは言い難い王滝村。競技生活を送る上で不便はないのでしょうか。
「アスリートは食事が基本。ここでは食材の買い出しに行くにも、車で行かないといけないので最初は苦労しました。今では週2回、隣町に買い物に出掛けて自炊をするというルーティンができ、自分のペースが掴めています。王滝村は娯楽施設がほとんどありません。それが私にとっては、競技に真剣に向き合えるありがたい環境なんです。『ちょっと今日は練習をさぼって遊んでしまおうかな』という考えが頭をよぎっても、それができる場所がない。仕事が終わったら競技のことだけを考えられる。大好きなお酒はたまに都会に出て楽しみ、普段はここでマウンテンバイクに集中する。それが私にとって良いバランスのようです」
宮津さんの2023年の目標は具体的に定まっていて、練習にも熱が入っています。5月に行われるアジア大会の選考レース。7月の全日本選手権での優勝。そして10月のアジア選手権。2024年に開催されるパリオリンピックも視野に入れています。
「私が目標を達成することで、王滝村のPRにもつながるかもしれない。応援してくださっている村の人たちのためにも頑張りたいです」