農業で独立。最初の準備は「岩ころがし」から?!
秋の風を感じるようになってきた王滝村。どんぐりがあちこちで実り、すすきの穂が揺れ、山々の紅葉が始まりました。まもなく長く厳しい冬を迎えるまで、つかのまの心安らぐ季節です。


さて、そんな美しき日に、「木曽terasu農園」の屋号で農業を営んでいる山下香織さんのもとを訪れました。
待ち合わせは、山下さんがトマト栽培のために建てたハウスの前で。
本HPの「グローバル女子会」にもご登場いただいた山下さんと、「お久しぶりです!」と、数ヶ月ぶりの再会です。

早速、「木曽terasu農園」の主力作物であるミニトマトのハウスへ・・・と思いきや、「そうだ、”ハードモード”がテーマなら、最初にこっちを先に見てほしい!」と、ハウスの裏手へ案内されました。

「見て見て、これぞ王滝!」
山下さんがそう言って指差す先には、大きな岩がゴロゴロと転がっています。なんと、これらはすべて、山下さんのハウスが建っている土地から出てきたものだとか。
「これは、ほんの一部。王滝村の土って、一見平らでも掘るとこのくらい大きな岩がどんどん出てきて、畑にするのがすごく難しいんです」
2018年、地域おこし協力隊として王滝村へ移住したのち、農業大学校を経て新規就農を果たした山下さん。夫婦二人で取り組む畑の最初の準備として行ったのが、この「岩の取り除き作業」だったと話します。
「私たちはユンボ(油圧ショベルカー)を使って、ハウスの支柱を立てる部分の岩だけをどけてもらったけれど、それだけでも大仕事。畑にする場所すべての岩を取り除いていた昔の人たちは、本当に大変だったろうと思います。
だから私たちは、『せっかくすべてが初めてなのだから、こういう土地でもできる農業技術を確立させたい!』と、少しめずらしい方法でミニトマトを栽培することにしたんです」
新規就農の実現は「独立ポット耕隔離栽培」と「地主さん」のおかげ
続いて、いよいよハウスのなかへ。「もう、出荷用の収穫は終わりました」ということでしたが、室内にはまだまだ、おいしそうに赤くなったミニトマトがあちこちに実っています。ところで、山下さんのいう「少しめずらしい方法」とは・・・・?

お分かりでしょうか、山下さんが実践している栽培方法は、「独立ポット耕隔離栽培」。
名前のとおり、すべてのミニトマトの苗が地面から離れて宙に浮いています。個々に独立したポット(植木鉢)に植えられ、茎を伸ばしているのです。

土を耕さず、ポットで個々に育てる。これこそが、「独立ポット耕隔離栽培」の特徴。塩尻の農業大学校在学中にこの栽培方法に出合った山下さんは、「これなら、岩のある土をわざわざ取り除かなくても農業がはじめられる!」と感動したのだそう。
もちろん、ポットを置く台や灌水設備を整える必要があり、施設への投資額はかさみますが、逆に一度設置してしまえば長く使えるすぐれもの。水分調整など管理もしやすく、作業姿勢も比較的楽にできるなど、メリットは多方面にわたります。
「岩を取り除く手間や連作障害対策などをおもえば、この方法が最も管理しやすく、しかも安定的においしいミニトマトが育つ……と信じて、いまがんばっているところです。まだまだ、ヘタなんですけどね」

未経験からの就農2年目にして、栽培〜出荷まで実現できた理由について、「国や村などから受けた資金的なサポートはもちろん、この栽培技術との出逢いが大きかった」と山下さん。さらにもうひとつ、「大前提として、私たちが今、使わせていただいているこの土地を管理してくれていた、地主さんのおかげなんです」と、力を込めて話します。

「この土地の地主さんは、とにかく几帳面で、仕事が丁寧な方。いまは活用していない土地でも、草だらけにせずこうしてきれいに管理してくださっていたんです。だからこそ、私たちも『ここをお借りしてがんばろう!』とイメージすることができました。
耕作放棄地は全国で問題になっているけれど、耕作しなくても『放棄』さえしていなければ、移住者や地元で農業をする人たちの見え方は変わってくるかもーー。とにかく私たちは、地主さんに感謝のひとことです」
現在、3棟のハウスでミニトマトを栽培し、収穫後には王滝村の名物「すんき」の原料となる赤かぶの栽培も。「来年のミニトマトは、今年の倍の収穫量になるはず!」そう話す笑顔には、「独立ポット耕隔離栽培」への自信と期待があふれていました。
暮らしのリズムを決めるのは、時計ではなく目の前の自然ーーそんな日々が新鮮、だから面白い
山下さんには農業のほかにもうひとつ、村の観光案内所の臨時職員としての顔も。
役場に程近い観光案内所で週に2回ほど、デスクワークや問い合わせの対応をしています。さらに、週末など空き時間には村の若手世代や子どもたちの活動の場としての「ゆる活」の企画・運営を担うなど、日々村のあちこちでひっぱりだこです。

地方での暮らしといえば、のんびりとしたスローライフをイメージする方も多いはず。しかし山下さんの日々をお聞きしていると、まさに”ハードモード”な忙しさ。
大変ではないですか? そうお聞きすると、笑顔でこんな答えが返ってきました。
「いやいや、私、ハードモードを求めてここに来たので!」
東京の下町で生まれ育ったものの、「歳を重ねるにつれ、便利さに頼りきりになっている日々に違和感を感じることが増えていった」という山下さん。そんななか、暮らしの拠点を移すという決断を後押しするできごとの一つは、東日本大震災でした。
「震災の日、私は自宅近くのカフェで働いていました。カウンターのライトはぐわんぐわんに揺れて、ただごとではない状況なのにみなさん、淡々と働いているし、お客さんも驚いているのかいないのか、といった感じ……。『え、揺れてるよね、みんななんとも思わないの?』と、すごく驚いた記憶は鮮明です。
そしてその後、スーパーマーケットから物資が消えたとき、『そういえば自分には、食べ物をつくる知識がなにもない』と、気づかされて。『すぐに食べ物をつくれるようになれないかもしれないけど、少なくとも作物が育まれている場所に身を置いて暮らさなければ』って、強く思ったんです」

夫婦で食べるものを育てたり得ること、そして、そんな暮らしが浸透している環境に、身を置くこと。「のんびり」するのではなく、それこそが山下さんが移住の先に求めていたことだから、”ハードモード”は想定済み。移住7年目を迎えるいまでは、まさに当時思い描いていた暮らしの実践者です。
「たとえば、寒くなって葉が凍みてきたらすんきを漬ける。鹿がとれたら、その日の晩ごはんのメニューが変わる。ここでは、時計やカレンダーで設定したスケジュールじゃなく、自然のリズムに人が合わる暮らし。予測不能なことばかりで、効率は悪いかもしれないけれど、それが不思議と心地良いんですよね。
振り返れば大きな変化だったけど、そういう日々が、いつのまにか身に沁みてきたのかも。この村のハードモードの面白さを知ってしまったら、もう、東京的なハードモードには、戻れないかもしれません(笑)」
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